奈良の大仏、実はほぼ「別物」だった——東大寺の知られざる歴史に震えた話
奈良の大仏、実はほぼ「別物」だった——東大寺の知られざる歴史に震えた話
先日、SNSで東大寺の話題が流れてきて、なんとなく眺めていたら「現存する大仏は当初の部分をほぼ残していない」という一文が目に入った。え、待って。あの奈良の大仏って、本物じゃないってこと? 思わず手を止めて、自分でいろいろ調べ始めてしまった。
「大仏さん」の寺、その正体
東大寺は奈良県奈良市雑司町にある華厳宗の大本山で、正式名称は「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」という。正式名称、長すぎて一発では読めなかった。本尊はあの有名な盧舎那仏(るしゃなぶつ)、いわゆる「奈良の大仏」だ。
建てたのは聖武天皇。奈良時代、8世紀のこと。「国力を尽くして建立した」という表現がWikipediaに出てくるんだけど、これが誇張じゃないことは当時の規模を見るとよくわかる。当時の大伽藍には、大仏殿のほかに東西2つの七重塔があって、その推定高さが約70メートル以上。現代で言えば20階建てのビルに相当する塔が2本そびえ立っていたわけで、想像するだけでちょっとおかしくなりそうな光景だ。
2度、焼かれた
ところが、この壮大な伽藍は中世以降に2度の兵火で大部分を失う。つまり、人間の手によって燃やされた。権力争いや戦乱の中で、信仰の場でさえも容赦なく灰になる——歴史を調べていると、そういう現実に何度も直面する。東大寺もその例外ではなかった。
そして現存する大仏殿は、江戸時代中期の宝永6年(1709年)に再建されたもの。しかも「規模を縮小して」という注釈つき。今の大仏殿でさえ世界最大級の木造建築として有名なのに、それが縮小版だというのだからオリジナルの規模は想像を超えている。
じゃあ、あの大仏は「本物」なのか
これが一番気になったところ。調べてみると、現存する大仏は度々修復を受けていて、当初の部分が残っているのは台座(蓮華座)などのごく一部だけらしい。顔も、体も、ほぼ後世に作り直されたもの。
正直、最初は「じゃあ偽物じゃん」って思いかけた。でも少し考えると、それは違う気がしてきた。
1300年近く、ずっと修復しながら守り続けてきたこと自体が、もうすでに文化遺産の本質なんじゃないかと。建物も、仏像も、完璧にオリジナルを保存することよりも、「大仏さん」として崇められ続けてきた時間の重みのほうが、価値の中心にあるんじゃないかって。開山した良弁から数えて、現在の別当はなんと第224世の橋村公英さん。224代、受け継がれてきた場所。それだけで十分すごい。
「話題」の理由がわかった気がする
東大寺がSNSで流れてくる背景には、きっとこういう「知ってるようで知らなかった」という感覚があるんだと思う。修学旅行で行った、写真も撮った、でも歴史の重さはあのときぜんぜん理解していなかった。大人になってから調べると、まったく違う場所に見えてくる。
いつかまた行ってみたい。今度は、縮小された大仏殿の柱の太さとか、蓮華座の「当初の部分」とか、ちゃんと意識しながら。
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